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「八犬伝」

山田風太郎著  (廣済堂文庫)

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 「本が好き」とか「趣味が読書」という人は多い−−僕もその一人だ−−けど、考えてみればそれは恥ずかしいことである。恵まれた人は物語を必要としない。幸せになりたい、裏返せばいま幸せでないからこそ、自分に足りないものを本の中に探すのだ。

 江戸時代、大伝奇小説『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴はその代表選手のようなものだ。「八犬伝」は室町時代の安房国(現在の千葉県南部)の城主、里見義実の娘・伏姫が犬の八房の子を身篭ることから始まる。ドラゴンボールのような孝・義・忠・信・悌・礼・智・仁、八つの珠を持って散らばった子供たちは、絶体絶命に陥った里見家を救うため、不思議な縁に結ばれながら立ち上がった。舞台は関東はおろか甲信越にまでまたがって、天馬往来、正義の剣をふるうりりしい若者たちの、壮絶無比の戦いが繰り広げられる。

 中国の「水滸伝」がモデルとされ、執筆に費やされた歳月は28年、登場人物は400人を超える。そんな壮大な虚構を生み出した馬琴がどんな人物だったかというと、友である葛飾北斎曰く「石灰でかちんかちんにかためたような人」だというのだ。頑固で偏屈で完全主義者。なにしろ千葉を舞台にした小説なのに「いってもむだだ。私の書くのはいまの安房じゃない。三百何十年も前の安房なんだから。むだどころか、私の世界が壊れて、かえって害になる」と言い放つような男なのだ。山田風太郎の『八犬伝』は、馬琴の実生活と物語の世界を往復しながら進んでゆく。

 馬琴は家庭を愛した。武士の家に生まれたが、若くして父母を失い、市中を放浪する。侍になれず、医者にもなれず、なんとかたどり着いた戯作者の道。馬琴にとって、物語など「虚」つまり仮のものに過ぎない。彼の人生は、幼いころ安らぎを覚えた「武士の家」の再現に捧げられた。しかし、彼にとっての「実」つまり家庭は、彼自身の偏屈さがたたって経済的には苦境に追い込まれ、大切な一人息子は父の厳しすぎる教育によって廃人となった。

 自分の作る「虚の世界」の末は見当がつくが、自分の生きる「実の世界」の末は見当もつかない、と嘆く高齢の馬琴に、失明の危機が襲う。それでも彼は、物語を生み出し続けた。風太郎曰く「異常の人がけんめいに正常な物語をかこうとしているかのようだ。」片目の視力を失い、残る片目もかすんでいく中で書き続ける馬琴の様子を、続けて記す。「かきつづけるのは、生活のためでも孫の未来のためでもなく、人に頭を下げずに生きるためでも現実から逃避するためでもなく、それどころか小説を完結させようという目的のためですらなく、ただおのれの内部からあふれてくる物語自体のためであることを知った。」

 生活という実の世界が哀れになるほど崩れ去り、物語という虚の世界が実に取って代わった時に、奇跡は生まれるのだが、それは内緒にしておこう。馬琴の「八犬伝」は無論、風太郎の『八犬伝』も決して歯ごたえがない作品とは言わないが、最後まで読み通したあなたには、物語の世界に溶け込む愉楽が待っていることだろう。そして呟くに違いない。「自分にとって、本のない人生など考えられない」と。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
  (双葉社 藪長文彦…八千代市出身です)